大阪高等裁判所 昭和26年(ナ)25号 判決
原告 下室明一
被告 奈良県選挙管理委員会
一、主 文
昭和二十六年四月二十三日施行せられた奈良県吉野郡下北山村村長選挙を無効とする。
訴訟費用は被告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は主文と同旨の判決を求めその請求の原因として、原告は肩書地に居住し昭和二十六年四月二十三日施行せられた奈良県吉野郡下北山村村長選挙の選挙人であるが、右の選挙には三尾真一、上平高敬、田間総三郎の三名が立候補して競争激烈を極め特に三尾、上平の両候補者は勢力伯仲してその当落は到底予断を許さない状勢であつたが、結局得票数三尾真一六七一票、上平高敬六六八票、田間総三郎三二八票で三尾真一は僅かに三票の差をもつて当選した。然し右選挙は次の理由によつて無効である。
(一) 右選挙の第二投票所には投票記載所が三ケ所設備せられていたがその内向つて左端の机の上右側前方に縦約九、二糎横約二、六糎の紙片の表裏両面に「ミオ」と墨書したものが午前九時頃から午後一時半頃迄放置せられて居り、更に中央の机の上にも同様の紙片が相当長時間放置せられて居た事実がある。かようなことは投票記載所の設備としては違法であり、かかる紙片の存在は投票者に対して違法の勧誘となり甚しきに至つては之をもつて官庁又は村役場の指図なりと解する者すらあつて文化の低い山村の投票者に対しては、選挙の結果に異動を及ぼす虞のあることは明らかである。現に三尾真一の得票のうち同人の氏又は氏名を片仮名又は平仮名で書いているものは二〇種一四六票でうち「ミオ」が三四票「ミオシンイチ」が三五票「ミオシン一」が八票「ミオ真一」が三票あつてこれ等は前記紙片の影響を受けているものと認められるから当選者と次点者との差が僅かに三票の本件選挙に於いて右紙片の存在が選挙の結果に影響のあつたことは極めて明瞭である。
(二) 投票管理者は選挙人で身体の故障又は文盲により候補者の氏名を記載することのできない者がある場合には、選挙人の申請により投票立会人の意見を聞いた上代理投票の補助者を選任しその補助者をして候補者の氏名を記載させることになつているが、これを適正に行う為めには(イ)選挙人から申請があること(ロ)投票立会人の意見をきくことの二要件がいるもので選挙人からの申請もないのに予じめ投票補助者を選任し置き、之に多数の選挙人の代理投票を行わせることは投票の管理執行としては不法であつて、これについて投票立会人から進んで異議の申出がなかつたということだけでは適法に行われたものと謂うことはできない。蓋し所謂代理投票は投票補助者と特定候補者との間に特殊な関係があり勝で、特に本件のように山村の選挙で競争の激烈な場合においては何人がその補助者となるかは選挙の公正保持上重要なことであるから選挙人の申請を待ち、その都度投票立会人の意見をきいて投票補助者を選任すべきものである。然るに本件選挙においては第二投票所の投票管理者は未だ投票の開始されない間に予じめ概括的に、しかも全然投票立会人の意見をきかずに島久司、橋詰幾江の両名を投票補助者に指定し、同人等をして当日代理投票を為さしめたもので之は明かに選挙法規に違反し選挙の結果に影響を及ぼしたものである。
以上本件選挙は選挙の自由公正を害し違法に行われたもので無効であるから原告は同月二十九日同村選挙管理委員会に対し選挙の効力に関する異議申立をしたが、同委員会は同年五月二十八日異議却下決定をしたので原告は同年六月十一日更に被告委員会に訴願したが同年九月七日被告は原告の訴願を棄却し、右裁決は同年九月十日原告に交付せられた。仍て原告は被告に対し右裁決を取消し本件選挙を無効とする旨の判決を求める為め本訴に及んだ。
と陳述した。(証拠省略)
被告指定代理人は「原告の請求を棄却する訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め答弁として
原告の主張事実中(一)の第二投票所の投票記載所の机上に原告主張のような紙片が放置せられていたとの点並(二)の代理投票者の選任につき投票立会人の意見をきかなかつたとの点を否認する其の他の原告主張事実はいずれもこれを争はない。尤も右第二投票所の机の下から原告主張のように「ミオ」と表裏両面に墨書した紙片一枚が発見せられ直ちに取り去られた事実はあつたが、本件選挙は公正適法に行われたもので何等瑕疵がないからこれを無効とするいわれはない。
(一) 凡そ選挙を無効であるとするには当該選挙が選挙の規定に違反して行われ、且規定違反が選挙の結果に異動を生ずる虞のある場合に限ることは公職選挙法第二百五条の規定により明らかである。而して選挙の規定に違反するとは選挙の管理に当る者が管理執行に関する規定に違反することであり、又選挙の結果に異動を及ぼす虞があるとは若し選挙の規定に違反せずに選挙が行われたならば或は異なつた結果が生じたかも知れぬと思料せられる場合を謂うものであるが、本件については、第二投票所に於いて原告主張のような紙片一枚が机の下から発見せられるや投票管理者は直ちに之を取り去つたもので管理者が故意にその責務に違反して、右紙片を机の下に放置していたわけではない。仮に右の紙片が投票記載机の上に存置せられた事実があつたとしても、それは投票者の誰かが心覚えのため持参して置き忘れたものと認められ投票管理者その他選挙事務担当者が置いたものでもなく、又かかる紙片の置かれていることを知りながら故意にこれを放置していたものではないからこれをもつて選挙の規定に違反するものと謂うことができない。のみならず選挙人は投票所に入る前既に自己の投票せんとする候補者を定めて居るのが一般であり、本件投票所には全候補者の氏名をふり仮名つきで掲示していたのであるから縦令机上にかかる紙片が置かれているのを見ても、これによつて自己の投票せんとする候補者を決定した者はない筈で、現に本件選挙において前記の紙片を認めたと称する者も全部これに関係なく自己の信ずるところに従つて投票しているのであるから、斯る紙片が存在したことは毫も選挙の結果に異動を及ぼすものではない。若し本件のような選挙が無効ならば選挙運動者又は選挙人は自己の熱望する候補者が形勢不利と思う場合、形勢有利な候補者の氏名を記載した紙片を秘かに投票記載所に放置してその当選を妨げ、その都度選挙のやり直しをして遂に停止するところを知らぬこととなり、結局選挙は有効に行うことを得ないという重大な事態を惹起するに至るであろう。
(二) 代理投票の場合に於いてその候補者を選任するには一々代理投票を申請する選挙人毎にその都度投票立会人の意見をきいた上これを選任しなければならないものと定めた規定はないから、選挙当日投票時刻が到来した後投票所で予じめ投票立会人の意見をきいて当日の代理投票補助者を選任しておき、代理投票の申請があつた場合右の補助者をして投票の補助を為さしめることは何等違法でない。のみならずむしろ事務の円滑迅速を図る上からも当然の措置である。原告は代理投票補助者と特定候補者の間に特別な関係があり勝ちで、何人が代理投票の補助者となるかは選挙の公正に重要な関係があるから、その都度選任すべきだと主張するが却つて予じめ補助者を選任しておく方が選挙の自由公正に適合するものである。而して本選挙第二投票所においては選挙当日投票時刻開始後投票管理者中岡兵市は投票立会人平井久五郎外二名の面前に於て島久司、橋詰幾江の両名を代理投票の補助者に選任したい旨を述べたところ、立会人等は何等発言しなかつたので、中岡は右両名を補助者に選任したもので積極的に投票立会人の賛意をきいたわけではないが同人等は異議を述べる機会を与えられながら、何等発言をしなかつた以上その意見をきいたことになり別段差支はないのである。
要するに本件選挙は自由公正に行われたのであつて其の間何等違法な点はないから原告の本訴請求は失当である。
と述べた。(証拠省略)
三、理 由
原告主張事実中第二投票所の投票記載所の左端及中央の各机の上に原告主張のような紙片が存置せられていた事実、及その時間並代理投票補助者の選任につき投票立会人の意見をきかなかつた点を除き爾余の事実はいずれも当事者間に争のない処である。よつて先ず原告主張の(一)の点について判断する。
本件選挙の第二投票所の投票記載所机の下から原告主張の如き縦約九、二糎横約二、六糎の紙片の表裏両面に仮名で「ミオ」と墨書せられたものが発見せられたことは被告も認めるところで、右「ミオ」は候補者三尾真一の氏を仮名書きしたものであることは疑のないところであるが、成立に争のない甲第三号証と証人井奥俊雄、南谷平三郎、中岡兵市の証言を綜合すると右紙片は選挙当日午後一時半頃投票記載所中央の机の下に放置せられていたのを発見したものであることを認定し得られる。処で証人井奥スエ子平西種子、小林フサノ、森本菊太郎の各証言と成立に争のない乙第一号証の一乃至四同第四号証を綜合すると右と同様の紙片が同日午前九時半頃からすくなくも午前十時過頃までの間、同投票記載所左端の机上に放置せられていた事実を認定するに十分である。原告は右同様の紙片が中央の机上にも置かれていたと主張するが此に関する証人小川常吉の証言は証人森本留太郎の証言に徴しいまだこれを認定せしめるに十分でないし、又検証の結果によると左端の机上に置かれた紙片が落下しても直接中央の机の下に達し難いものと認められるに拘らず前示の如く中央の机の下から紙片が発見せられた事実に徴すると或は中央の机上にも置かれていたのではないかと疑う余地はあるが適確にこれを認定し得る証拠が他にないから結局右紙片は一枚だけ左端の机上に置かれていたものが落下しその後中央の机の下に達したのを発見せられたものと認定する外はない。そこでかくの如く、投票記載所の机上に特定候補者の氏を両面に墨書した紙片が放置せられて為された選挙の効果について考えるに、投票記載所にかかる紙片を存置することを許さぬ旨を規定したものはないけれども、公職選挙法が選挙運動を選挙期日の前日迄に限つてこれを許容し、選挙の当日に於ては選挙事務所を投票所から三町以内に設置することを禁じ、投票所から一丁以内に選挙用ポスターを掲げることを許さず、投票所に於いて演説討論をし若しくはけん騒にわたり、又は投票に関し協議若しくは勧誘をしその他投票所の秩序をみだすものがある時は、投票管理者はこれを制止し命に従わないときは、投票所外に退出せしめるべきことを規定し、或は同法施行令において市町村選挙管理委員会は投票記載所について、他人が投票の記載を見たり、又は投票用紙の交換其の他不正の手段が用いられることのないようにするため、相当の設備をしなければならない旨を規定している。法意に鑑るときは投票所に於いては選挙人は何人からも、勧誘又は制肘を受けることなく、全く自由に自己の所信に従つて投票し得られるということが、最も重要な要請であつて、此の要請に反し特定候補者のための勧誘を受け、若しくは投票の自由を制肘せられるような環境、又は設備のもとになされた選挙は明文の有無に拘らず、選挙の規定に違反して為されたものと謂わざるを得ない。而して前認定の紙片は故らその両面に候補者の氏を墨書しているもので、これを単に選挙人が心覚えに持参したものを置き忘れたものと認めるには余りに念入りであつて候補者三尾真一の為め投票を勧誘する意図のもとに故意に作成せられ、且投票記載机の上に放置せられたものと認めるのを相当とし、投票者としては投票の概語とも考えられるから斯る紙片を存置したまま施行せられた本件村長選挙は選挙の規定に違反するものと謂うべきである。被告は右紙片は選挙事務担当者が置いたものでもなく、又選挙管理者がこれを知りながら取り去らずに放置したものでもなく、係官に何等責めるべきものがないから選挙の規定に反するものでないと主張するけれども、選挙が規定に反して違法に行われたか否かは、客観的に選挙が自由公正に行われたか否かによつて決せられる問題で、選挙事務担当者に故意過失のあつたことを必要とするものではないから、前示紙片が選挙事務担当者の知らぬ間に机上に置かれたものでこれを発見しなかつたことについて担当者に何等責むべき過失がなかつたとしても、やはり選挙が違法に行われたと謂うのに毫も差支はない。従つて本件選挙に於いて右紙片の存在が選挙の結果に異動を及ぼす虞がないならば、格別その虞があるものとすれば、その選挙は無効であると謂わねばならないから、此の点について観るに証人井奥スエ子、平西種子、小林フサノ、森本留太郎の証言によると同人等は投票に際し右「ミオ」なる紙片を認めたが何等之に影響せられることなく、その所信に従つて投票したことを認定し得るが、該紙片を発見した者は同人等四名以外にないものと認め得る立証がないのみならず、却つて成立に争のない乙第一号証の一乃至四同第三、四号証を綜合すると第二投票所に於ける当日の投票状況は午前九時から同十時迄の投票者百九名(到着番号一六〇番まで)十時から十一時迄六名(到着番号一六六番迄)で右森本留太郎は到着番号一四九番平西種子は同一五〇番小林フサノは同一六〇番井奥スエ子は同一六二番であつたことは明かであるから、前段認定のように右紙片の存置せられた午前九時半頃から、すくなくも十時過頃迄の間に於いては最小十四名以上の投票者が同投票所で投票して居ることを認定するに十分であつて、更に当事者間争のない候補者三尾真一の総得票中(第二投票所の分のみではないが)氏又は氏名の記載中「ミオ」と書かれている票が数十票あつた事実とに鑑るときは右紙片の存在によつて、之等の投票者中たとえ二、三票でも候補者三尾真一に投票するに至つたものがなかつたとは断言出来ないであろう。然るに右選挙に於いては候補者三尾真一と上平高敬とは勢力伯仲し、三尾候補は僅かに三票の差をもつて当選したのであるから、仮に右紙片がなかつたとすれば上平候補に投票したかもしれない二票が該紙片の存在によつて三尾候補に投ぜられたものとすると、右紙片の存在によつて誘起せられた二票の行方が両候補者の当落を左右したこととなる。被告は選挙人は投票所に入る前既に投票すべき候補者を決定しているもので、かかる紙片を見てこれを決定するようなことはないと主張するけれども、それは我国現在の選挙人の教養なり選挙心理から見て、全部の選挙人に洩れなく当てはめて謂い得ることではない。要するに僅かに三票の差によつて当落のわかれた本件選挙に於いて、前示紙片の存在がこの当落を左右したかも知れないと考えられる以上、これ正に選挙の結果に異動を及ぼす虞のある場合に該当するから、本件選挙は無効であると謂うの外はない。原告は若しかような選挙をも無効とするならば形勢不利な候補者を支持する選挙人は故意に形勢有望な候補者の氏名を記載した紙片を投票所内に放置することによりその選挙を無効とせしめ、その都度選挙のやり直しをして終に有効な選挙をすることができなくなるという重大な事態に立到ると主張するが、単に斯る紙片が投票所に存在したということだけで、選挙を無効なりと謂うのではなく、かかる紙片の存在によつて、選挙の結果に異動を及ぼす虞が招来されて、始めて該選挙を無効とするものであり、又選挙管理者の周到な注意によつてかかる事態発生を防止し得べく、更に又斯る紙片を放置する行為は多くの場合選挙の取締法規に触れ犯罪行為を組成するものと認められるから敢えてその危険を犯そうとする者のでてこない以上、被告の憂慮は殆んど杞憂に終るであろうし、仮に被告の憂慮するような事態の発生が考えられるにしてもこれが為めかかる不公正な選挙を有効なりと謂うわけにはいかない。
果してそうだとすると原告の訴願を容れなかつた被告の裁決は失当で原告の本訴請求は此の点に於て理由があり、これを認容すべきであるから、他の争点の判断を省略し、民訴法第八九条を適用して主文のように判決する。
(裁判官 吉村正道 林平八郎 大田外一)